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@zkhiに学んだこと
ネットで知合った者達が現実空間に集結した実践は、サブカルでも実業でも90年代から回っていることなので、少しも新しくはない。RT:@datsuo: ネットを通じて自然にできたクラスタが今度はカオスラウンジを通じて現実の空間に集結した!っていう段階を「面白い」と言うのはまだ早い
私の発言が「オフ会は新しいけどそれだけでは面白くはない」という意味にもとれる
私の発言が「オフ会は新しいけどそれだけでは面白くはない」という意味にもとれる
現状ではアート文脈にのっけてないから、コンセプト明確に言語化しろと、東&村上からも主催者が詰められているのではないでしょうか? RT @datsuo 作品を集めてギャラリーで展示、オープニングがオフ会化→アートにのっける、というのは私の中では新しいもの
私自身がちゃんと考えて言語化していかなければいけないということ
@datsuo 主催と参加を分けるのはどういうことでしょう? RT:参加側がどういう意識なのかというのも大事
主催者も参加者も同じプロジェクトの中にいるから、
@datsuo そんな内部的事情をどうして閲覧者が慮らなければならないのでしょう? ある現象に連帯したということは、そういうことに対しても共同責任を持たなければならないのです。 RT:今の状態は、言語化している主催者(黒瀬さん)は完全に外側から見ているという印象なので。
キュレーターかいなかに限らずみんながきちんと言語化して考えていかなければいけないのに、今はそれができていないということ
@datsuo 黒瀬と藤城はキュレーターとしてクレジットされてますので、「主催ー参加」などという意識は社会的にもアート的にも通用しません。
黒瀬さんとうそくんに関する主催ー参加の意識は私個人のイメージの問題で、事実それは違う。それを言葉にしても伝わることはない
黒瀬さんとうそくんに関する主催ー参加の意識は私個人のイメージの問題で、事実それは違う。それを言葉にしても伝わることはない
閲覧者に向けて内輪をオープンにすることはできないし、したとしても結局は内輪の中にしか伝わらない。
@datsuo カオスラウンジでブランディングする主体が問われる訳なんですよ。 RT:カオスラウンジに集まる人や参加者の個性は関係ないって言われてるけどそれは違うかなと思う
カオスラウンジを言語化してアートにのっける時、作家個性は大事な部分ではない
@datsuo マーク・ロスコは「完成した瞬間に、創作物と創作者の間の親密な関係は終結する。作者は部外者となる。絵画は作者にとっても、後にそれを体験するひとのだれとも同じように、天啓でなければならない。」と言ってます。アートにとって作家個性はどうでもよいことなのです。
アートにおいて作家は作品で語るべきだということ
作者個性を重視するなら、「クラスタ」から独立し、独自のコンセプトを掲げ活動すれば良いのです。過去、スーパーフラッド村上隆がしてきたように。
クラスタや界隈の中にいる時に個性を出そうとするのは違っていて、それは個人でやるべきこと
クラスタや界隈の中にいる時に個性を出そうとするのは違っていて、それは個人でやるべきこと
わからないことを言葉にしていけば、だんだんかたまっていって完成に向かうけど、完成してしまうとその先に可能性というものはなくて、でもそれをやっていくのがアーティストということ
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