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お兄ちゃんが欲しい

私は大抵形から入る。格好とか、考え方(設定)にこだわる。形に憧れを感じるから。女の子にはその憧れのすべてが入っている。男の子は違う。小さい子は可愛いけど、男性であることを考えると気持ち悪くなる。自分が女であるからというのは最も大きい。一番よく見ていて、妹もいる。
お兄ちゃんという存在に憧れていた。お兄ちゃんは男だけど、そこにいやらしいことはなく、家族の温かみがあり、しかし恋愛感情がある。叶うことのない恋愛は不安がなく、安心できる。お兄ちゃんは恋愛に関係なくずっと傍にいてくれる。お兄ちゃんが欲しい=妹になりたい。でもお兄ちゃんは(血の繋がった兄であれば)、今いなければ一生存在し得ない。そこに憧れへの安心がある。憧れが叶って消えてしまうことはありえない。妹に憧れている。生まれた時から夢が叶っている妹。自然と自己投影をしていて、ずっといるともしかすると妹になれるんじゃないかと思う。妹は可愛くて、可愛い妹、という形である。憧れは叶うことがないから一生存在し続ける。安心ではあるが、揺らぎもある。私は子供である。この安心であるが不安定な気持ちは子供であるからで、大人になったらお兄ちゃんが欲しくて気持ちが揺らぐことはない。子供でいる、と覚悟することでお兄ちゃんへの憧れは存在し続けるし、お兄ちゃんは存在し得ない。成長することで、私が妹になるということはない。
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カオスラウンジ物語 第二話

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 うそくんがひとたびよびかけると、
いんたーねっとのせかいにいるひとびとはmogragにせいぞろいしました。
くうやのむや、かくやはるやのどんちゃんさわぎ。
おまつりみたいなおーぷにんぐがすぎ、みんなうそくんがすきになりました。
もちろん、うそくんはみんなをもっとおもしろいとおもうようになりました。
 
もうひとり、みんながおもしろいことにきづいたひとがいました。
それは、くろせようへいです。
くろせさんも、うそくんがだいすきです。
だからうそくんがおもしろいとおもっているカオスラウンジを、
みーんなにしってほしいとかんがえたのです。
でもあわてんぼうのくろせさんははやくちなので、
いんたーねっとのせかいにいるひとはびっくりしてしまいました。
それからうそくんやひとびとは、すこしずつくろせさんのことばにふれていったのです。
くろせさんのことばは、
みんなにぶんかいされることでだんだんだんとカオスラウンジになじんでいきました。
 
カオスラウンジ2010がかけあしでまくをあけるやいなや、あるじけんがおこりました。
むらかみたかしとあずまひろきのこうりんです。
くろせさんがうそくんをすきなように、
むらかみさんとあずまさんも、あいのかたちはちがえどくろせさんがだいすきです。
だからあわあわしているくろせさんをほうっておけなくなってしまったのです。
こうりんはもうすうじかんでよがあけるころまでつづきました。
こうりんをひとめみようとあつまったひともとうとう2000にんをこえ、
ちゃっとらんはまるで2ちゃんねるのようです。
うそくんはそれでも、たのしむことをやめませんでした。

電脳アジト404について考えたこと

CCI20100116_00000.jpg

秋葉原を拠点(アジト)として、
自由な遊びを自分から提供していく
やんちゃだけど”大人”しいもの。
twitterの断片を拾っていくと、電脳アジト404はこういう風に見えました。

”大人”しいという風に思ったのは、子供のする遊びではなく
学びを前提にした遊びを考えているように見えたからです。
(きっかけになることは学びをどこかへ置いてきているけれど)
これが、「大人が子供らしさを手に入れようとしている」ようにも見れて、
とても秋葉原っぽいと思いました。

「秋葉原を拠点に」というのを聞いて真っ先にAKB48が思い浮かびました。
AKB48のコンセプトは「秋葉原の劇場を拠点にした会いに行けるアイドル」です。

コンセプトの繋がりだけではなくて、電脳アジト404とAKB48には、
秋葉原と直接深い関わりをもってきたわけではない人々が集められて・集まっている
という感じも同じように受け取れます。
(あくまで私の知り得る情報からなので、違うかもしれませんが)
メンバーもそうだし、それを見に来る人(ファン・オタク)もそうで。

AKB48、それもAKBオタクが、
今秋葉原の劇場を本拠点として、秋葉原を拠点(アジト)にしています。
(たとえば、タリーズやマックで写真などの交換をしたり、
列を作る時は必ずドンキ前に集まって「最後尾」の看板が立てられたりそれをオタクが持ったりなど、)
秋葉原の外の人が集まってきて、そこに住みつくのは、
秋葉原が何かの象徴のようになっているからかもしれないと思いました。

電脳アジト404っていうのは、そういうふしぎな現象を面白くするような、
秋葉原にあまり思い入れがない、外から来た人の好奇心を発揮する・させる場所なのかもしれないな、と思います。

カオスラウンジ物語

むかしむかしあるところにふじしろうそくんというわかものが
のらりくらりとげんじつのせかいにいました。
しかしひとたびいんたーねっとのせかいへとあしをふみいれたうそくんは、
たびたびそのなかへはいるようになり、
ついにはそのトキのなかですごすことがおおくなりました。
いんたーねっとのせかいですごすようになったうそくんは
いんたーねっとのせかいにあるさまざまなおもしろいものを
げんじつのせかいにもみせてあげたいとおもうようになりました。

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odc∞cm(http://odc8cm.seesaa.net/)総会にて

内海君について

☆idol
iconも含めたものとする。偶像、アイドル。どこかに存在するものを、(その外見を象徴=マスコットとして)個人の中で(性格=キャラクターを加え)再構築したもの。

私は内海君をこのidolに当てはめている。内海君とは、私と同じ学校に通っている、私の知らない過去を持って、私とは違う考え方をする、実際に存在している人物である。私がidolに当てはめている内海君と、この実在する内海君とは直接的に関係してこない。直接的に関係してくると、内海君はidolではなくなってしまう。ただ、間接的にはしっかりと関係している。
私の知る内海君の外見、性格、情報、すべてを統一してみたとき、私が理想とする人物になる。これがidolとなるきっかけになった。
アニメやドラマ、テレビなどに出る創作された人物のことを、今ここで話しても、彼らがそれを知ることはない。それは彼らが現実の世界に存在していないからである。(役者、アイドルがそれを知り得ても作品の外に出た時点でそれは変わってしまう)
私はそれと同じように内海君を見ている。アニメやドラマを見たときのように、あの内海君がどうだったとかを言いたくなるのだ。だから、登場人物である内海君が知るはずのない私の話を知ることは、私にとって不自然で、あってはならないことだと思った。
内海君のことは主にtwitterで話していた。(http://favotter.matope.com/user.php?user=datsuo&mode=fav)しかし現れる予定でなかった内海君がtwitter上に現れ、私をフォローした。つまり、私の発言は知られてしまうことになったのだ。これはアニメやドラマの登場人物の話をする時にはありえないことである。私がしている話は、若干ストーカーめいたことである。頭の中で考えたことも含まれていて、事実かどうかわからない。おそらくそれを見たら、気持ち悪いだとか、からかわれているんじゃないかと思うだろう。聞いた話によると、内海君はそう思っているらしい。しかし実際顔を合わせてその話をしたことはない。つまり、今のところ現実の内海君とidolの内海君に直接的な関係はないのである。
しかし、私自身には直接影響が出ている。最近、内海君が目を合わせてくれないんです。(もしかしたら私が合わせないようにしてるのかも知れない)内海君私のこと嫌いになったのかな、と悲しく思って、内海君が未完成のidolだったことに気付きました。
[09/07 るんるん♪]
HN:
だつお
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非公開
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