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「旅行記」 カオス*ラウンジ(夏)

作品の写真(http://datsuo.side-story.net/Entry/13/

私は作品を見せたい、と思うとき、とにかくたくさんの人に見てもらいたい!とかではなくて、もっと単純な子どもらしい気持ちでいる。
たとえば、学校で作ったり描いたりしたものを、親に見せたりして、「わあ、今日はこんなものを作ったのね」って言われたりするのがうれしくて、もうただ見てほしくて。
今は親だけではないし、たくさんの人に見てもらいたいとは思う。そのたくさんの人は、「とにかく」ではなくて、私が生活してきた中で、知ってきた人で、だから必然的にたくさんになっただけなのだ。

その単純な気持ちが表れていたのは、もうずっとちっちゃいころからだけれど、自由研究は幅も広かったし、色も濃かったように思う。
小学生の時の自由研究といえば、私の中で旅行記だった。旅行記、とくにハワイの旅行記は何度か作っていて、自分でも満足感があったし、見せたい、と思う気持ちが強くなるものだった。
(旅行は日常生活よりも密度高く感じるものだし、その中で作る思い出は、閉鎖的で、だからこそその枠の中にいなかった人に伝えたいと思うものだ、と思う。)

「カオス*ラウンジ」は、今回は「(夏)」がついている。だから私は、自由研究をすることにした。

自由研究をやるだけでは、「カオス*ラウンジ」の部分を無視してしまっていると思ったので、ネットのことも考えることにした。

ネットで発表する作品は、おおもとのデータではない。おおもとのデータはパソコンの中にあって、発表するものは複製(というのも少し違う気がするけれど)でしかない。
おおもとのデータというのは、もちろん発表している目に見える形で存在しているわけではないし、データが作品となるわけではない(パソコンの画面上に変換された、またネットで発表したあとの形が作品であるといえるかもしれない)が、美術館や展示会で見る絵、生の絵とは違う存在だ。
生の絵、は、丁重に扱われる。美術館や展示会では作品にさわれないことが多いし、劣化をさせないように厳重に確保されているときもある。
それは有名な絵だから、というのもあるかもしれないが、実際有名じゃなくても丁重に扱われることが多い。
しかし、ネットで見る作品や絵というのは、丁重に扱う、ということが難しい。というか、どうすれば丁重に扱ったということになるのかがわからない。
むしろ、ぞんざいに扱われることが多いように思う。ぞんざいというのは言いすぎだけれど、たとえばtumblrだとか、生の絵にはない密着感みたいなものがある。
他人の絵(画像)だけど、自分のもののような感覚になるときはあるし、自分の絵の一部にしてしまっている人もいるし、ぞんざいに扱われることで良さが出るのがネットの作品ではないか、と思った。
そして見る人に密着することで、生でみるときよりも親近感みたいなものがわいて、カオス*ラウンジのような、ネットを介してたくさんの人、作品を集められるのかもしれない。
カオス*ラウンジで知り合った人というのは、知り合いともちょっと違うし、友達ともちょっと違うし、またそれ以外なんと言ったらいいのかわからないような、不思議な関係であると思うし、それがとても面白いと思う。
その関係はやっぱり、ネットの密着感みたいなものから生まれてるだろうから、カオス*ラウンジ自体が私にとっては面白い存在で。
だからこそ面白い存在をきちんと活かさないといけないと思って、pixivのしくみと、生の作品とが合わさった作品を作ることができればと思った。

pixivはまず、サムネイルがあって、アップロードした日時や、タイトルが、その作者のページにある。
サムネイルをクリックすると作品全体が見れて、さらにクリックするとその作品が別窓で飛び出す。
タグによって内容のおおまかな感じがつかめたり、またキャプションからも情報を得られる。
ただ、おおもとのデータはそこにはない。
pixivのことはここまでで、次に、カオス*ラウンジで出す、生の作品ということを考える。
生で出す、ということは、おおもとのデータも出せるということである。しかしそこでデータをそのまま出してしまっては、普通に展示会をするのと変わらない。
おおもとのデータがないことで、もしかしたらネットのもつ作品との密着感が生まれて、少し距離を置いたほうが見る側から歩み寄る余地をもてるのかもしれないと考えた。
だから私は、データを「圧縮」して「閉じて」展示したいと思った。
そこで、本来膨らませた形でいるべきものを探し、ビニールプールにたどりついた。
(ビニールプールは、夏になると屋上に出して、よく妹と遊んでいた。妹がからむ思い出をいれたいとも考えていたため、浮き輪やビーチボールを使わずにあえてプライベートな空間を作るビニールプールを使うことにした。)
ビニールプールをそのまま飾るのが難しいことは十分わかっていた。だからこそ、圧縮すれば展示ができる、という風にもいえる。
圧縮した上で、さらにジップロックに入れる。(ここで、zipで圧縮する)
これだけでは、なんだかわからないし、見てほしい「旅行記」がきちんと読めないし見れない。
それはzineoffで出しただつおzine(説明→http://kenchantokekon.blog.shinobi.jp/Entry/662/)でわかったことでもある。
自分から作った閉じた空間に、その空間の外にいる人の気をひかなければ作品を見てもらいたい気持ちは伝わらない。
おおもとのデータを、ネットのよさを含みつつ提示するのはできても、密着感につながるきっかけがなければ、どちらのよさも活かせないのだ。
そこで、pixivのしくみを活用することにした。少し上で書いたpixivのことを、そのまま具現化しようとしたとき、一番旅行記にあっているのは写真立てとアルバムだ、と思った。
そして、できあがった作品は、3つそろって1つになった。

湯豆腐

信頼するっていうのは、信頼するものが信じて頼るに足る情報を持っているかいなかではなくて、自分が信頼するかどうかが大事で、つまり、情報だとかいうものは言ってしまえばどうでもいいということ。(信頼するかどうかを考える時点においては)情報ではなくて、そのものを信頼して、そのものの間違いも受け入れてみるということ。

先輩

先輩は、イラストレーション部という中高一貫のクラブの先輩で、当時私は中学2年生で先輩は高校2年生だった。
初めて行った合宿で、先輩は絵本を買っていた。くまのがっこうの、ジャッキーのぱんやさんという絵本で、先輩は寮に帰ってからその絵本をみんなに読み聞かせてくれた。
絵本はいうなればとても普通の、かわいい絵本で、まあ好きだった。でも、先輩が読み聞かせてくれるという点でもうすばらしい絵本に見えた。
実際、みんなで見ていたのもあって、たぶんその絵本が持つ面白さよりも面白い読み聞かせになっていた。
(そもそも、読み聞かせ、というのがとても好き。小さいころから、両親が読み聞かせをしてくれて、自分で読むよりもその読み聞かせのほうがはるかに面白かった。それはテレビ番組などもそうで、両親がつけっぱなしにしたアニメをひたすら見ていた。見ていたというか、眺めていた。これも読み聞かせ、だと思う。この読み聞かせ、は今もひきずっている、それを感じたのは最近で、CDを人に借りたとき、借りたものばかり聴いてしまうことに気づいてから。そのCDを聴いているとき、貸してくれた人のことを思い浮かべてしまう、それが嬉しい。つまり、読み聞かせ、というのがとても好きということ。私のそばで誰かがペラペラと本をめくる行為も読み聞かせにふくまれる。)
先輩の読み聞かせてくれる絵本がとくに好きになった私は、先輩をそれ以上に好きになって、先輩にくっついているようになった。
くっついているくせにあんまり話さなかったけれど、絵本の話はたくさんした。絵本の話ばかり盛り上がっていたように思う。
私が絵本を作りたい、と言ったら、先輩が一緒に作ろう、と言ってくれて、それからもっと先輩にくっつくようになった。
放課後も、画材を買いに行ったり、打ち合わせをするようになって、部活外でも先輩とくっつくようになった。(家が厳しくて、放課後もあまり友達と遊ぶなんてなかったし、まして休日なんて片手で数えることもしなくていいくらいしか遊んだことがなくて、だから特別で驚くような時間だった。)
話すたびにどんどん先輩が好きになっていって、先輩は違う校舎(中高一貫だったけど、高校2年生、3年生は違う校舎)だから私のロッカーに手紙をいれておいてくれたりして、もう本当に大好きで仕方なかった。
作業はつらかった、時間がなくて、寝ないでやった。でも先輩が好きだからしんどくはなかった。先輩が辛そうなの見て、そういうのが全部ふっとんだ。
出来上がったら、展示会で、圧倒的なインパクトを残していた。好評で、当たり前だ、と思ったけど(先輩のすごさは目をつぶってもわかる)、なんだか新鮮で、すごくすごく嬉しかった。
製本をして、先輩が、その本をくれた。先輩は、コピーでいい、と言った。私は、でも先輩に持っていてほしいと言ったら、先輩は、私に持っていてほしいんだと言った。
その展示会で、先輩はクラブを引退した。展示の片づけをして、送別会みたいなものをした。先輩に花束や、寄せ書きを、高校1年生の先輩達があげていた。
私はじっとこらえていたけど、先輩に抱きついてしまった。あほみたいに先輩のブレザーをぐしょぐしょに濡らした。
先輩は「明後日会えるのにー、泣かないの」と言って笑顔で私の頭をぽんぽんたたいて、泣いていた。
私は喉がつまって嗚咽をもらしながらゆっくりと歩いて駅に向かって、友達が貸してくれたハンカチをずっと握った。

何かを作るとき、必要なもの

誰かがいることで、何かを作ることができるみたい。たぶん、誰かがいて、私がその誰かを好きでたまらなくて、それで作ることができる。
もしくは、作っていく過程で、どんどん好きになっていく。もちろん、その前も好きだけど、作っていって、好きになって、もっともっと好きになる。
好きになったその誰かのことをまた好きになる感覚。
その傾向が強く表れたのは、(それ以前も傾向というのはあったと思うけれど)先輩と作った絵本で、だから絵本を作りたいというのがある。
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[09/07 るんるん♪]
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