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イライラする

イライラしすぎて死にたいという言葉しか浮かばない。イライラしすぎてという言葉しか浮かばないという言葉もうかんでいるけどイライラしすぎて何もかもイライラしている。指を一本ずつ折ってしまいそうなくらいイライラしている。たぶん折ってしまうというよりは折れてしまう感じで今必死に自分を保っている。傷のなおりが遅くて、だからもうめんどうなことやひっかいたりとかはしたくないからずっと考えることだけをするようにしている。最悪なことしか考えられないきもち。早く誰か他人に会わないと今すぐ死んでしまいそう。死んでしまいそうというのは物理的な意味ではなくてたぶん考えること。考えられなくなるではなくて死んでしまう、ということ。びっちりひらいた花の根本をたちばさみで一切りするといった感じに死んでしまいそう。だし死んでしまいたい
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ものを作るときの楽しいこと

楽しいこと
①作る過程の楽しさ
②できあがった後の楽しさ


絶対にあるもの。辛いとか、しんどいだけの制作にも、ほんのわずかな①があるもの。
(自分から行動を起こす、ということが、わずかな楽しさにつながる)
作っているものと、自分とが向き合わなくても、存在するもの。
なぜなら、作っている、ということで、もう作ることに対しては向き合っているから。
だから、楽しめば楽しむほど、できあがる作品が自分のもともとの意図と反する変化をみせることがある。
(また、逆に楽しみが小さければ小さいほど大きな変化があるかもしれない)


向き合う気持ちや、時間が必要なもの。気づかないと、感じられないので、これがないと思う場合もある。

その時思ったこと

たとえば、鏡を見て、自分を見て、髪を整えたりする。それは、今の自分のように見えるけれど、本当は今の自分ではない。どうして違うかと言うと、それはその時の自分だからだ。鏡を見て、今目の前に映る自分の髪を整えることは、その時の自分を整えることにしかならない。今の自分は今鏡を見てはいない。鏡を見ている今の自分は常にその時の自分に摩り替わっている。摩り替わっている、というか、もともとその時の自分なのである。つまり、私は、今の自分よりその時の自分を見せたがる。

アロイーズ展 感想

9月2日まで延長になった、ワタリウムでやっているアロイーズ展を見にいきました。
見にいったわけではなくて、道に迷ったら、偶然たどり着いたので、雨もすごかったし。
アロイーズの絵は、朱、青が印象的で、それも展示方法がたんたんとしているために、一見一様に見えました。
一枚ずつ見て行くと、それはちょっとずつ変わっていて、気づいたのは、強い絵と弱い絵があることでした。
強い絵、というのは、元気な絵、興奮している絵という意味で、弱い絵は、繊細で、どこか寂しそうな、でもそれを隠すような絵でした。
私は弱い絵をとくに気に入りました。
アロイーズの絵に合わせて、彼女を見守った人や魅了された人のコメントがつけられていました。
しかしそのすべてより多くを語るのは彼女自身の言葉で、もっと多くの言葉をみたいと思うくらい、どきどきさせられて。
言葉には、弱い絵に似たものがありました。
弱いものというのは、たぶんアロイーズの隠れた部分のように思いました。
深い愛情を、そのまま、きれいで情熱的で華やかに描いているものからは、とても寂しく、悲しい思いを感じました。
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[09/07 るんるん♪]
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だつお
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